「Smoke from bonnet」(ボンネットから煙)
ある日、僕は友人と一緒に車に乗っていたら突然ボンネットから 煙を吹きあげて止まってしまった。
それが、このアルバムの名前の由来です。
その日はちょうどこのアルバムを共に作った四人が 初めて結集する日であり、 その場所へ向かっている途中の出来事だったのです。 アルバムが完成し、四人でタイトルを考えていた時 誰かが、ふと「ボンネットから煙」とつぶやき 他に候補となっていたタイトルもいくつかありましたが、 結局このタイトルに決定しました。
ボンネットから煙。 それは、私達にとって一つの象徴であり ある出来事のはじまりを示す狼煙でもあり、何よりも
私達自身が、ボンネットの煙なのだということを 私達は無意識に感じていたのです。
立ち上がっては消えていく煙に、自身の音のイメージを結合させ その消えゆく一瞬の刹那からまた、沸き上がるイメージ。
このアルバムは、そのイメージの結晶ともいえます。
その日、ボンネットから煙を吹き上げながら 止まってしまった僕の車は、 二度と動くことはありませんでした。 その時ふと見上げた黄昏れ時の空。 その空がジャケットの写真です。 このアルバムを今は亡き、僕のボロクソワーゲンに捧げます。 K
Everything, like somoke
タカハシ
タカハシ
タカハシ
Iijima
Iijima
Iijima
Iijima
中嶋
中嶋
Everything, like smoke
Everything, like smoke
感覚的風景としての音楽
この前新聞を読んでいたら、全ての人はこの世界の様々な事を、一つの感覚の塊としてとらえていて、その感覚の塊が、脳の中で様々に結びついて、自分の中の世界を構築している、というような記事を見つけました。
僕達は、音楽は恐ろしいほど、それらの感覚を忠実に表現できる、と言う事を知っています。表そうとする、感覚が鮮明であればあるほど、それを音楽に忠実に再現するのは難しいですが、又、創作の面白みも生まれます。昇華された表現は、その人の感覚的世界が、作品に忠実に写し取られるわけです。それらの作品の中にはその人の生い立ちや、幼少の記憶、そこから生まれる哲学が感覚において、色を帯び、一つの風景を醸し出します。
このコンピレーションアルバムは一人一人独自性を持ったそれらの感覚を、一つのナレティブの中に結合させる実験です。個人個人、方法論や感覚は違うわけですが、時々全く違う方法論から現れたそれらの音が、反復し、重なり合いながら、また違った風景を作って行きます。ある瞬間にその情景が心地よく響き合い、又ある瞬間に対立しながら、一つの流れを作って行きます。
一人一人の表現は未だ完成されたわけではありませんし、ようやくある出発点に辿り着いただけだとも言えます。しかし、もし、これを聴いていただける人が、この作品の中の、反復するイメージからから、あなたの感覚的感傷に結びつく何かを、受け取っていだだけるなら、という願いをこめて、この作品を作った次第です。I